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2018.01.15
添削フォーム33
コメント欄に、入試問題の大学名と年度、問題番号を書き、それに続けてあなたの解答をペーストしてください。
コメント
こんばんは。添削ありがとうございます。
時間は残り少ないですがまだまだ力不足です。
リードできるよう頑張ります。
一つお聞きしたいのですが、河川沿いの水田に依存する集落立地と台地の端の崖下に立地する集落との違いを教えて頂きたいです。
よろしくお願いします。
- 2018.01.30 19:24
- poen
遅れましたが、添削です。問題送付ありがとうございました。地形図もキレイに見えました(もしかしたら見誤っている部分もあるかもしれませんが、その場合はご容赦をば)。
まず、この地域がどこなのかわかると回答が容易だと思います。「笠野原」、「肝属」、「鹿屋」などの地名から、鹿児島県東部の大隅半島であることがわかります。「笠野原台地」といえば、何と言ってもシラス台地ですね。桜島の火山灰が積み重なり、シラスという土壌となり、水田耕作には適しませんが、大規模な畑作農業地域となっています。これぐらいの基礎知識があると書きやすかったと思いますよ。
では文章を見ていきましょう。
>中央部には広く南高北低に緩やかに傾斜した洪積台地が広がる。
まず最も広い範囲を占める地形に注目するのは基本ですね。ただ、「南高北低」は勘違いでしょうか。現在の地形図で読み取りやすいのですが、等高線が何本も描かれており、北が高くなっているようです。「洪積台地」については問題ないでしょう。単なる「台地」で十分ですが、もちろん洪積台地でも誤りではありません。
「中央部の広い範囲を、北から南に向かって緩やかに傾斜する台地が占めている。」みたいな感じでしょうか。
>北西は山地になっている。また東部には中山川、西部には鹿屋川が南北に流れており開析谷を形成し、河川周辺には沖積低地が広がる。
ここもいいですね。「中山川」、「鹿屋川」といった具体的な名称が挙げられているのは素晴らしいです。さらに「開析谷」も適切であり、河川沿いの低地についても「沖積低地」と表現したことも同じく適切です。とくに沖積低地という言い方は難しいのですよ。「沖積平野」というと「扇状地・波乱限・三角州」の全てを含むことになってしまうので、(乏水地である)扇状地を省き、下流側の低地(つまり氾濫原と三角州ですね)を「沖積低地」と表現する場合があります。「沖積平野」と「沖積低地」はきちんと使い分けましょう。
>1921年には乏水地の台地である肝属では主に畑として利用されたが開発が沖積低地に比べて遅れ、未利用地も多い。
「乏水地の台地」は適切です。「肝属」というのはこの地域全体を指す地名でしょう。現在の地形図でも大きく示されている[笠野原]という地名を用いたほうが良かったような。さらに空白部は「畑」ですので、「未利用地」については言及することもなかったかな。
「笠之原を中心とした乏水地の台地上は広く畑として利用され、シラスと呼ばれる排水性の良い土壌を利用して、サツマイモなどの栽培が盛んに行われていた。」
もちろん「シラス」や「サツマイモ」についてはこの地域が鹿児島県であることを知らないと論ずることはできないのですが、逆にいえば知識をアピールできる部分でもあります。どしどし文章中に組み入れていきましょう。
>又、幹線道路沿いに発達した屋坪以外は集落の規模が小さい。
時代的に考えて「幹線道路」は厳しいような。ここは「街道沿い」ですかね。「街村」としてもいいと思います。家屋密度が高く、街道がやや屈曲した部分から街並みが広がっています(これはちょっとはっきりしないかな?)。
>山地には広葉樹林が広がり沖積低地では水利が良く、水田として利用されている。
土地利用について言及しています。いいですね。
>水害を避けるために谷沿いに古くからの集落が立地し、鹿屋では市街地を形成した。
ここがちょっと難しいんですよね。「集落の立地」についてはもっと字数を使って、詳しく記述して欲しいと思っています。
まず、「谷沿い」については少なくとも「水害を避ける」ための地形ではありません。水利が良い、水田耕作に適した低地に接している、などが立地条件であり、さらに近世ならば谷沿いに街道が設けられる場合もあり、それに接した街村が形成されることもあります。山の産物と平野の産物が交易される市場を中心とした集落もしばしば谷沿いにつくられます。
本図で注目して欲しいのは、東部の「西野山」や西部の「大久保」、南部の「新村」などの集落です。これらは、台地の周辺にあり、これは水田に近く、しかし水害も防ぎやすいという、台地における自然発生的な集落立地の典型的なパターンです。地形図で「台地」を確認したならば、その周囲(等高線をみたらいいと思います)に古い時代からの集落が自然発生している様子を目でとらえてください。
それに対し、北東部の「土持掘」などの集落はなぜか台地上に立地しています。これについては、近世(江戸時代)以降に計画的につくられた開拓村であるかと思います。明治や昭和などかなり新しい時代のものかも知れません。
「台地の周辺には古い時代に自然発生した集落がみられる。また、台地上には新しい時代に計画的につくられた開拓村を起源とした集落がみられる」
こうした表現ができれば良いと思います。
>1995年になると鹿屋を中心に国道が整備された事で市街地が拡大し、
正しい読み取りです。新しい地図で図を北東から南西に横断する国道がみられますね。「かつての開拓道路に沿って国道が敷設された」といった感じでしょうか。
>台地上でも区画整理がなされ、宅地化が進んだ。
区画整理はポイントですね。とてもいい読解です。ただ「宅地化が進んだ」とまで言えるのでしょうか。そこまでは家屋は増えていないような。むしろ農業地域としての整備が進んだようも思われます。
>又、見晴しか良い台地を利用した人工衛星観測室も立地した。
こうした細かい読み取りもとてもいいですね。字数稼ぎにもなりますし、いろいろなネタを入れていきましょう。
>緩斜面を利用した取水を行う事によって一部には果樹園としても利用されるようになった。
せっかく土地利用について述べているのですから、もっと具体的でも良かったかな。「緩斜面」だけではなく、具体的な地名を挙げながら、詳しく説明してほしかったところです。
>鹿屋では市街地拡大に伴い学校や工場や病院などの都市機能も充実した。
最後は字数の関係かな。簡単な記述になっていますが、もちろん適切な内容ですので、全く問題ありません。
今回のテーマは「集落立地」にあったと思います。台地の典型的な立地パターン(台地周辺)に加え、台地上につくられた開拓村に触れ、残った字数で河川沿いの水田に依存する集落立地について述べたら完璧だったと思います。与えられた問題から、作問者の意図する回答を予測し、それに沿って答案を仕上げるというテクニックも大切と思いますよ(^^)
- 2018.01.29 19:45
- たつじん
こんにちは(^^)
こちらは「2010年」でしょうか。
手元の旺文社問題正解を参照したところ筑波の問題が含まれていませんでした。
地形図という細かい図にはなってしまいますが、今回もまたDMにて問題および図をお送りいただけたらと思います。
お手数ですがよろしくおねがいします。
- 2018.01.19 12:40
- たつじん
こんばんは。
いつも有難うございます。
今回も宜しくお願いします。
筑波大学2010年第1問です。
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中央部には広く南高北低に緩やかに傾斜した洪積台地が広がる。北西は山地になっている。また東部には中山川、西部には鹿屋川が南北に流れており開析谷を形成し、河川周辺には沖積低地が広がる。1921年には乏水地の台地である肝属では主に畑として利用されたが開発が沖積低地に比べて遅れ、未利用地も多い。又、幹線道路沿いに発達した屋坪以外は集落の規模が小さい。山地には広葉樹林が広がり沖積低地では水利が良く、水田として利用されている。水害を避けるために谷沿いに古くからの集落が立地し、鹿屋では市街地を形成した。1995年になると鹿屋を中心に国道が整備された事で市街地が拡大し、台地上でも区画整理がなされ、宅地化が進んだ。又、見晴しか良い台地を利用した人工衛星観測室も立地した。緩斜面を利用した取水を行う事によって一部には果樹園としても利用されるようになった。鹿屋では市街地拡大に伴い学校や工場や病院などの都市機能も充実した。
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以上です。宜しくお願いします。
- 2018.01.18 23:28
- Poen
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