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2021.07.30
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コメント
では添削いたします。
>東大2021第3問設問B
>(1)順に、サービス職業、農村漁業、生産工程
いいですね。よくできています。
>(2)生産工程は工場の海外への移転などによって、販売業者販売の自動化を進める店舗の増加によって、就業者は減少した。(54字)
うまいですね。これは的確です。「販売の自動化」についてはもう少し具体的な記述が必要だったかとは思いますが(例えば「セルフ型店舗」など)、大きな問題はないでしょう。
>(3)大学の集積する首都圏は中枢管理機能の集中が見られ、オフィスも多く、流入した若年層が知識集約型産業に従事している。(56字)
大学と中枢管理機能は関係ないと思いますよ。そこはカットでいいと思います。本社機能を首都圏に移す企業が近年増えています。オフィスが増加し、働き手である若年層が流入した様子を説明すればいいでしょう。「知識集約型産業」も一つの例としては適切です。もちろんこれ以外のもの(金融業やサービス業)もあるのでしょうが、具体例を挙げた点は興味深いです。
「企業が中枢管理機能を首都圏に移し、オフィスが増加した。知識集約型産業の集積もみられ、働き手である若年層が流入したから。」(59字)
こういった形でしょうか。万物さんの解答をもとに改変してみました。
>(4)高度経済成長期にあたる当時、専業主婦の女性が目立っていた。その後、女性の社会進出に伴い、育児・家事と仕事の両立に迫られたが、育児休暇取得制度が困難な上、保育施設の整備が進まなかった。
これもいい解答ですね。素晴らしいと思いますよ。そもそも合計特殊出生率という統計指標そのものが曖昧なものであり、これについて詳しく論じることは受験生レベルでは必要ありません。合計特殊出生率と出生率は全く違うものですが、ここではシンプルに子どもの出生数の減少にのみ注目して説明すればいいと思います。
なお、本来の問題の意図は「1970年代以降の低下」だと思います。首都圏において1960年代と1970年代で何が変化したかといえば、人口流入の動きですよね。高度経済成長期には多くの若年労働力が首都圏へと流入し、それが高い出生率の背景となっていたはずです。オイルショック後は、そうした人口流入が減少し(あるいはUターン減少で地方に人口が流れ)、出生率も下がったのではないでしょうか。わざわざこの年代の出生率の低下を取り上げたということは、出題者側にはそういった意図があったのではないかと思います。
高度経済成長期には首都圏に多くの若年層が流入し、多くの子どもをもうけた。石油危機以降は若年層の流入が減少し、子どもの数も減少。現在は晩婚化、未婚化の影響も。(78字)
こういった解答パターンも考えらます。もちろん万物さんの解答で満点なのですが、一応参考にしてみてくださいね。
- 2021.08.04 07:32
- たつじん
東大2021第3問設問B
(1)順に、サービス職業、農村漁業、生産工程
(2)生産工程は工場の海外への移転などによって、販売業者販売の自動化を進める店舗の増加によって、就業者は減少した。
(3)大学の集積する首都圏は中枢管理機能の集中が見られ、オフィスも多く、流入した若年層が知識集約型産業に従事している。
(4)高度経済成長期にあたる当時、専業主婦の女性が目立っていた。その後、女性の社会進出に伴い、育児・家事と仕事の両立に迫られたが、育児休暇取得制度が困難な上、保育施設の整備が進まなかった。
- 2021.07.30 19:19
- 万物
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